西南戦争をわかりやすく簡単にまとめてみた

3 熊本

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熊本に生まれ、熊本で育ちましたが、地元の歴史は何も知らないまま大人になってしまいました。今回は、熊本の歴史を少し振り返ってみたいと思います。特に西南戦争という熊本を語るうえで外すことのできない歴史をわかりやすく簡単にまとめてみたいと思います。ドラマ西郷どんも盛り上がりました。

 

また、このNHKの「西郷どん」ですが、日曜日の夜8時です。

毎回見ようと思いましても、ついつい見逃してしまうもの。。。

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1 西南戦争が起きた原因って?

まず、西南戦争が起きた原因をわかりやすく説明しますと。。

士族と言われる、徳川幕府を倒した薩摩藩の元お侍さんたちがいました。
彼らは政府に対してある不満を持っていました。その不満が爆発したため西南戦争勃発となってしまったのです。

ところで、彼ら士族はどんな不満を抱えていたのでしょうか?

 

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2 西南戦争を起こした士族の抱えた不満とは?

徳川幕府と命がけで戦った彼らは、新政府ができてしまうと、ごくごく普通の扱いをうけてしまったんです。

士族の彼らは、こんなことを考えていたはずです。

おれたち士族は、新政府を作ろうとして活躍した。。江戸幕府と命をかけて戦った。すごいだろ。新しい政府ができたら優遇されるに違いない。。楽しみだ。。

ところが、、、

新政府はこの維新の功労者である士族の方たちから、給料を廃止する政策をとりました。そう。四民平等という名のもとにです。士族だからといって特権はないよ。。ということです。

はい。そこには、士族の給料が新政府の支出の3割を占めていたという事実があったからなんです。財政を圧迫していたんですね。。

今の時代でいうと、会社の創業時大活躍して売り上げを作り、頭を下げてセールスをしていた正社員サラリーマンを、株式上場したと同時にお前たち給料高いよ。これからはアルバイトの人たちと条件同じにするね。。といった感じでしょうか。

さらに新政府は、士族に対してさらに追い打ちをかけてしまいます。
武士だからこそ名乗れた苗字を、みーんなつけていいよ。。という政策を出したのです。

これには、あれ?おれたち士族ってそんなに特別じゃないじゃん。。。当然そんな気持ちになったでしょうね。。

そして、とどめとも思える政策が発令されます。。

新政府は、徴兵令をだして、士族だけが軍隊だよという常識を壊してしまいました。
そう、一般の方も軍に入れるという政策です。

これは、今まで農家だったけど、軍隊に転職しよ。。。給料いいしね。。
こんな感じの人が増えることを意味します。もう士族のプライドもへったくれもありません。

ついには士族は、刀までもとりあげられます。

まさに、お前たち平民だよ。刀とか意味ないよ。勘違いするな。。と言われたようなものです。士族たちは、新政府からこのような仕打ちを受けてしまいました。

確かに、戦争のない平和な時代に士族という基本的には働かなくてもいいような人たちに国の支出の3割を支払っていたのですから。お金がもったいないと新政府の人も考えたんでしょうね。

財政改革のためには多少の痛みは必要というのが新政府の本音だったと思います。

そんな半分リストラされた士族の方たちは特に商売がうまいわけではなく
給料もない生活を強いられたのです。とても困窮したのは間違いありません

おかしい。命がけで新政府を作ろうと戦ったのに、失業した。。。お金がない。。。先の見通しも立たない。もう特権階級ではない。。
こんな感覚でしょう。。

士族は当然新政府に対し大きな不満をもっていたのです。

 

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3 西郷隆盛が西南戦争のリーダーとなったいきさつ

 

 

このような状態で九州の中で反乱がぽつぽつと起きます。
規模が小さくすぐに鎮圧されるのですが、噂は鹿児島まですぐ伝わります。
熊本や山口で反乱おきたらしいよって。。。鹿児島士族の間で話題となります。

そして鹿児島(薩摩)には、新政府を辞めた地元のカリスマ西郷隆盛が帰ってきていました。
西郷さんは征韓論という、朝鮮に戦争仕掛けようぜ。ということを新政府に提案したものの、受け入れられず政府官僚をやめた人。

幕末では、江戸城総攻撃の総大将として君臨していた人だから、相当できる切れ者でした。

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当時西郷隆盛の名前を知らない人はまずいません。
鹿児島ではスターみたいな感じでしょう。きっと広島カープに戻ってきた黒田投手のような感じでしょうね。男気のあるスーパースターです。

征韓論という危険な提案をし、西郷さんを戦争大好きのような人のように見てしまいますが、実際は、失業してお金のない士族に働き口を作ろうとしただけです。。。。

その西郷さん、鹿児島に帰ってきてから、自分のいうこと聞く県令(知事)といっしょに新政府に税金を納めない独立国家風の鹿児島県を作ります。
そして、士族を集めて私学校を作り、農業や兵法のお勉強を若者と一緒にはじめます。

それを良しとしない。新政府。

当たり前ですよね。ひとつの県が税金も払わず学校を作って国つくりみたいたことをしているんですから。鹿児島に西郷さんの暗殺者を送り込み、さらには鹿児島に置いてある政府の武器弾薬を大阪に移そうとしました。

それに腹を立てた鹿児島士族。イライラしている若者たちです。
その現場を目撃し、腹を立てその場で切り捨ててしまいました。

鹿児島士族の大半は西郷さんの学校でお勉強している人たちです。
もう後には引けなくなりました。
西郷隆盛をリーダーとし、政府に対抗する集団を形成し始めます。

これが西南戦争のはじまりになります。

 

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4 西南戦争の勝敗

そして、この内乱のリーダーになった西郷さんの有名な文言があります。
「政府に尋問の筋これあり」
「政府に聞きたいことがあるので上京します。。」
そういう意味あいなのですが、この言葉をひっさげ武力蜂起してしまいます。

歴史で話題となっているのは、西郷さん達は、いったいどこまで(どの地域まで)をめざしていたのだろうかというところです。
表向き、東京を目指したとなっていますが、諸説あります。
実は、熊本城を落としたら政府と講和することを狙っていたのでは?という話。

というのも、あの軍略家の西郷さんが、この兵力で全国を制圧できると考えたでしょうか?
私学校あがりの軍隊です。兵器も旧型で、基本的に特技は刀の切りこみとなります。

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西郷隆盛率いる鹿児島士族が挙兵したとあれば
全国の士族が一斉に立ち上がる。。。。
それに賭けていたのではないかと推測されます。

鹿児島をでて北上した西郷軍。
(とはいえ、西郷さんはほぼ戦闘には参加していないのですが。)

14000人の兵力で熊本城を包囲します。しかし、
籠城する政府軍もなかなかの抵抗をみせます。
数は4000人ですが、熊本城の武者返しという構造にてこずり、銃器で応戦され、城は簡単には落ちません。

その後、熊本城に政府軍は援軍をおくります。
当時大砲など装備した軍隊が、福岡から熊本へ行くには
田原坂という熊本県北部の道を通るのが一番便利でした。
それが田原坂が西南戦争の激戦地となった理由です。

はじめは、優勢だった西郷軍。というのも、政府軍には命を懸けて戦う理由が
さほどないのです。薩摩の切り込みになすすべもありません。チェストーという掛け声は有名ですよね。

その劣勢状況を打開するために選抜されたのは、抜刀隊という警察部隊。
彼らはなんと、会津藩中心に構成されたといいます。
そう。幕末に会津は薩長連合軍に攻め滅ぼされているため、薩摩に対して
相当な恨みがあります。士気も高く、ついに田原坂周辺の戦いに政府軍は
勝利してしまうのです。

さらに、南からも熊本城包囲をとくため政府軍は兵を進めます。
熊本市を中心に大激戦が行われましたが、数に勝る政府軍は、じわじわ西郷軍を崩していき、ついに現在の熊本市から西郷軍を撤退させます。

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その後の西郷軍ですが、熊本県人吉市から、宮崎方面へ、そして最後は鹿児島の城山へと後退しました。

その間も、奇襲などをかけ西郷軍は小さくも勝利を重ねるのですがやはり次々とやってくる政府軍の増援部隊に退却させられます。

薩軍は一方的に負けているような印象を受けるのですが、奇襲攻撃はかなりの成果をあげていたようです。

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しかし最終的に、城山籠城戦の時の兵力は372名と言われていますので7万人に包囲された薩軍はここで最期の時をむかえます。

 

西郷隆盛は自害し、ここに西南戦争が終結します。

 

 

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5 まとめ

西南戦争がもたらしたもの

労働をしなくとも給料がもらえるという士族を廃止することで、国の財政安定化を図った政府に対して不満をもった士族が起こした日本最後の内戦であった西南戦争。士族という軍事専門職に対し、徴兵
により集められた新しい軍隊が勝利したことで、農民出身でも軍隊は成り立つということが証明されました。

これにより、日本には徴兵制が定着し、士族は完全にその立場を失いました。
また、西南戦争鎮圧により国家予算を使い果たした政府はその後、インフレ、デフレを繰り返してしまい、貧富の差が大きくなってしまいます。

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また、兵力に勝った政府軍が薩摩士族に苦戦した理由に兵の士気に違いがありました。それは、西郷隆盛というカリスマの存在が薩軍の活躍の原動力となったためです。その後、明治政府は明治天皇を大元帥とした軍隊を作り上げるようになっていきました。

軍隊のカリスマは天皇とする姿勢です。それは太平洋戦争まで引き継がれていきます。

以上、西南戦争をわかりやすく、私なりに解説させていただきました。

ありがとうございました。

また、このNHKの「西郷どん」ですが、日曜日の夜8時です。

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大河ドラマにあわせて熊本も復興にむけてがんばります。

いっしょに西郷どんを応援していきましょう。

 

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