西郷隆盛と勝海舟 江戸城無血開城に賭けるふたりの思いとは?

Katsu_Kaishū2 明治維新

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江戸城無血開城とは、幕府と新政府の内戦の危機を回避し、江戸を戦火にさらすこと無く政権交代を行ったの歴史的偉業でした。

圧倒的な軍事力をもって江戸に突き進む西郷隆盛率いる新政府軍。

そこに幕府の勝海舟が江戸城総攻撃を中止すべく駆け回ります。

今回は、江戸城無血開城に関わったふたりの歴史人、西郷隆盛と勝海舟のふたりにスポットを当ててみました。

 

 

西郷隆盛と勝海舟の出会い

江戸城無血開城の2年前がふたりの出会いです。

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西郷隆盛は、大久保にあてた手紙に勝海舟をこのように評価しています。

 

実に、驚き候人物。

ひどく、惚れ申し候。

 

これは、勝海舟が幕府の役人でありながら、幕府の政治を批判していたことに驚いた西郷の気持ちです。

勝海舟は、アメリカ留学により共和制を学びました。民衆が政治に参加する。つまり、諸藩による共同政治です。

幕府の独裁ではなく、新しい国家構想を持つ勝海舟との出会いは、西郷隆盛にも大きな転機となりました。

 

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一方、勝海舟は西郷隆盛をこのように評価しています。

 

今まで天下で恐ろしいと思う人物をふたりみた

1人は師と仰ぐ儒学者、横井小楠。

そして、もうひとりは、西郷隆盛だと。

天下の大事を負担する者は、西郷に違いないと。

 

 

 

幕府と新政府軍の戦い

勝海舟は、内戦の最中、欧米列強に植民地にされることを恐れます。
日本人同士、内戦をしている場合ではない。というのが勝海舟の根本の考えになってきます。

そしてついに勝は、この意見を将軍に提案。

その後、幕府は長州征伐に敗れ大政奉還へと踏み切ります。

今後の政治は、諸藩と幕府の共同ですすめるという構想です。

 

しかし大政奉還を良しとしない新政府。
これは、徳川家延命のための策略として否定したのです。

 

さらに、徳川家の領地と官位を没収するべきだと主張します。

薩長は、王政復古の大号令を発し、ここに戊辰戦争が始まります。

 

これには、幕府側の怒りが爆発。

鳥羽伏見の戦いの後、将軍徳川慶喜は謹慎し、幕府の指揮は勝海舟がもつこととなります。

 

西郷隆盛率いる新政府軍は、あくまでも武力で政権を奪おうとします。
徳川慶喜の首を差し出せという姿勢です。

 

江戸では、新政府軍が攻めてくるものと戦の準備が始まります。
実際江戸で戦がはじまれば、一般の人含む何十万人もの民衆が巻き込まれるのです。

 

西郷率いる新政府軍の幕府への要求は高く、交戦派を納得させる内容ではありませんでした。

江戸中に緊張が走る中、江戸城総攻撃の前日、

西郷隆盛と勝海舟のふたりの会談が行われます。

 

西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城をめぐる会談

西郷隆盛と勝海舟のふたりの会談が行われました。

 

話し合いの結果

勝海舟は、江戸城を明け渡すという条件をのみます。

しかし、武器弾薬の引き渡しは少々待ってほしいと言うのです。

それは、突然武器弾薬を渡した幕府の強硬派が抵抗するのを恐れたためです。

 

その武器弾薬引き渡しの延期を許さない西郷隆盛。

西郷隆盛は、イギリスのパークスにも相談します。
その背景にはるのは、幕府と戦争になった際に横浜にあるイギリスの病院の使用許可を求めるためです。

 

しかし、パークスの答えは意外なものでした。

 

既に恭順を示している徳川を攻撃すれば、それは国際法違反となる。

なぜ、徳川を攻撃するのか?というものです

 

この勝海舟の必死の説得

さらにはイギリス人パークスの意見もあり

今後の新政府の立場を考えた西郷隆盛は、江戸城総攻撃を中止することを決定します。

 

ここに江戸城無血開城が決定しました。

ふたりの絆が公の政治に結実した瞬間でもあります。

 

 

歴史家によれば、勝海舟は、江戸城総攻撃の大将が西郷隆盛で良かったと思っていたのではないか?との見方を示しています。

それは西郷隆盛、勝海舟のふたりがお互いの人柄を信頼していたためです。

 

西郷隆盛は、その後明治新政府を去り、西南戦争にて亡くなります。

その際、政府に立てつき西郷は逆賊となりました。

 

しかし、その時逆賊の汚名を晴らすのに奔走したのが勝海舟だと言われています。

ふたりの絆は、江戸城無血開城後も続いていたのですね。

ふたりの熱い友情には本当に感動します。
2018年の大河ドラマは、この西郷隆盛を主人公とした「西郷どん」です。
江戸城無血開城の放送も間違いなく盛り上がることでしょう。

 

明治維新って本当に面白いですね。